誰かを好きになったら、その人に好かれるための「偽りの自分」を作り、いつしか己の価値観さえ捻じ曲げて自分が何が好きだったのか分からなくなってしまう。

理想ばかり追い求めると、現実の海で溺れてしまうことになります。

そもそも、人間なんて不器用な生き物なんだから。

好きなら好きでいい。でも無理して「好き」を続ける必要なんてないのです。

こんにちは。公演期間中は出演していただいている役者を全員愛している中村太陽です。

皆を愛するとか言ってますけど、稽古開始から2ヵ月ちょいですからね、そんなに長い期間ではないのです。

ただ、この2ヵ月間であっても好きでい続けることが難しいこともあります。もちろん、演出家として、昔、自分で決めたルールですから、守りますとも、守っていますとも。おそらくね。

いつか書こうと思ってたんです、この『自分ルール』について。

演出家なんて、役者のいいとこを引き出してなんぼだと思うのです、つまり、根本的に出演している役者を好きになっていい所を見つけ出していくことが大事なのです。

なんと言うか、公演が終わったタイミングでこんなことを書くと嫌いな役者が『アルカの板』に居たように思われるかもしれませんが。。。どっちでもいいです。

そんなのを気にする必要がないくらい良い座組だったということだけ、お伝えしておきます。

でもね、20年以上も劇団を続けているとね、ぶっちゃけ、ありますよ。好きでいるのが難しい役者と出会うことも。ある日、突然、ビックリするくらいの苦手意識が生まれて、そのまま嫌いになったりすることも。。。だってね、オイラも人だからね、皆を同じように好きでい続けるなんて、普通にしていたら無理なのです。

だからこその『自分ルール』なのです。公演が終わるまでは自分自身に暗示をかけることもあります。無理くりにでも愛想笑いを取り繕うことだってあります。

こんなご時世です。皆が皆、平等を求めてきます。そこに分け隔てがあってはいけないのです。

でもね、どんな素晴らしい言葉を並べてみても、きっと、絵空事と言う名の建前でしかなくて、本心ではないんだよね。

それって、どうなんだろうね?建前を優先することで平等感は出せると思うのですが、『感』しか出ていなくて、決して平等ではないと思うのです。なぜなら、そもそも、この世界の構造が『平等に不平等』に出来上がっているからです。

つまり、そもそもが矛盾している環境に正しさをハメこもうとする時点で、誰かが無理をしなきゃいけない状況が生まれるのです。それって、『何も考えずに平等を求める人』と『考えた上で無理をしなきゃいけない人』がいるということになるのです。この時点で、もはや平等とは大きくかけ離れているとは思いませんか?

う~ん。別にこんなことを考える必要なんてなくて、愛想笑いを振る舞って、誰とも深く接することを辞めればいいだけなのですが、だったら芝居なんて辞めちまえばいいじゃない、って話になってしまうのです。。。

ねっ。ちょっと自分のことを掘り下げるだけでも、矛盾が生まれてしまうのです。

なもんで、オイラ的に楽になる方法として『別にいっか』論があるのです。

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