しかし、『人生』 を死が訪れるまでの、ただの暇つぶしだと解釈すると多少分かりやすくなるかと思うのです。
「無意味な会話の繰り返し」も「報われない結末」も「何も変わらない現在」も。
そう、意味なんてないのです。なぜなら、人は、そもそも生まれて、ただ死ぬだけだから。
ただ。人は『自分が生まれてきたこと』に意味を求めたりもするのです。
『自分だけ』には生まれてきたことに意味があるのではないかと思いたくなるのです。
なんと言う矛盾。
自分はそんなことはないと思っているアナタ本当にそうですか?意味を求めてませんか?
だって、何かしら意味を持たせないと人って頑張れないじゃないですか。
理屈抜きで頑張れる人ってただの馬鹿ですからね。
あはは。
もしかすると、効率的に意味を持たせることが人にとっての救いであるのかもしれませんが、それは同時に呪縛でもあるのかもしれませんね。
そうなのです、屁理屈なオイラには新作を書くための理屈が必要なのです。
まさか、それに気づかせてくれたのが不条理劇だったとは自分でも驚きですが。。。
そもそも、不条理なんて解釈は自由なのですから、自由に解釈してしまえばいいのです。しかし。自由な解釈が成立して知っている時点で不条理ではなくなってるような気もするのですが。。。
んっ?
不条理って、そもそも、何だっけ?