早速、AIに聞いてみました。

『不条理とは、物事の道理や筋道に反し、論理的に説明が難しい状況や出来事を指します。また、哲学的には「人間が意味を求める一方で、世界に明確な意味が見出せない」という矛盾を捉える概念として語られることもあります。』

だそうです。

だとしたら、道理なんて己の都合でしか解釈されない訳ですから 『別の国』 もしくは 『別の星』 で物事を考えた場合、全てに対応できる道理なんてモノはどこにもないのです。

日本の映画を見た中国の人がブチ切れるなんてことも大いにあり得るのです。

だとしたら、どんな物語も、誰かから見たら不条理に映るという事なのでしょうか?

そんな馬鹿な。

では 『ゴドーを待ちながら』 で解釈するとどうなるのでしょう?

『ゴドー』を死とした場合には、死を迎えた後には自ら死を自覚することはないため、ゴドーを実感する術はありません。

もし、ゴドーと会うことが人生の目標とするならば、全ての行動は暇つぶしであり、意味がない行動や会話遊びも、時間をつぶすという意味が生まれるのではないかとは思うのです。

あらら。なんだか少しだけ作品の意図が顔を出してきましたね。

しかし、その事象を明確に定義してしまうと、不条理とは呼ばれないような気もします、なぜなら説明できて解釈の意味は理解できそうだからです。

だとしたら、それは不条理劇と呼べるのか?

しかも、不条理劇の代表作って言われてるんだよね?

ん~~~。わからん。

だって、そもそも、オイラは、ゴドーなんて知らないしね。

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