だってね、いわゆる不条理劇ってエンタメとしては成立してない気がするし、それってある意味で見世物にはなっていないような気もするのです。

誰かが言ってました、でも、それが 『芸術』 だから。って。

『作り手』は『芸術』を作ってるんだから、『見る側』が『歩み寄ってこい』と。

でもさ、それって『作り手』が『歩みを止めた傲慢な思考』な気もするんだよね。

だからオイラは分かりやすい不条理というジャンルに興味が芽生えたのかもしれないです。

不条理なんてのは、決められたルールや、暗黙の了解のような「社会の基準」に反する行動や選択が該当すると思うので、そんなものに疑問をぶつけてみるのも面白そうだなと。

そういった意味では昔から、やってることは変わらないような気もします。

20年前にユニットを旗揚げした時に『退屈しない空間作り』を掲げてみました。

死ぬまでの『時間潰し』を少しでも有意義にしてみたかったのかもしれません。

いや、本当は意味なんてない人生に意味を強制的に持たせてみたかったのかもしれません。

意味がない人生に意味を持たせろという不条理。

だって、そっちの方が面白そうじゃん。

つまり、どんなことを謡いたかったのかと言うと『理不尽に対して理不尽で立ち向かう物語』です。

もっと、かみ砕くと『Relatable Absurdity(親しみやすい不条理)』みたいなことかなと。

言ってること自体が矛盾してるような気もするけど。おそらくそういう事なのだと思うのです。

押しつけられた固定概念が渦巻く時代です。

己の正義に疑問さえ持たない人がぞろぞろいます。

不条理劇は良くも悪くも固定観念をぶっ壊してくれるからね。

なんか、そんなのやりたいよね。

ふ~~。

猛暑です。暑さでボ~っ。としているのかもしれません。焦点も合わなくなってきています。

病院の待合室は涼しくしてほしいもんです。

おしまい。2025・09・15

追伸:猛暑が続きますが、みなさんも理不尽な暑さに負けず、たまには肩の力を抜いて、焦点を外してのんびり過ごしてくださいね。

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