子供の『敵討ち』です。
と。
子供の『復讐』です。
基本的にやろうとしていることは同じです。
しかし、なんだか 『復讐』 の方は犯罪の圧力が増している気がします。
『復讐』 はダメだけど 『敵討ち』 だったらしょうがないか、みたいな雰囲気さえある気がします。
そういえば、復讐劇はバットエンドになることが多いのに、なぜだか、敵討ちはハッピーエンドな作品が多いような。。。
そもそも 『自分にとっての正義』 を振りかざす最初の理由は何かを 『守る為』 だと思うのです。
もちろん復讐される人には理由があります。ただ、そもそもの原因は別の所にあるのかもしれないのです。
例えば、イジメなんて最悪ですよね、そして、認めたくはないモノです。
が。どんな場所にも大なり小なり潜んでいます。
しかし、そのイジメが生まれる原因は何なのでしょう?
おそらく根本にあるのは、自分の居場所を守りたい、己の立場を守りたい、仲間との関係を守りたい。などなど。
そんな色んな 『守りたい』 が飛躍して『守らなきゃいけない』に変化した結果。
『守らなきゃヤられる』的な空気が充満しているような気がします。
そう。自分を守る為に他人に気が使えなくなるのです。
いや、大事だけどね、自分を守るって、マジで。
ネットの世界では『無敵の人』なんて言葉もあるみたいです。
守るべきものがない、つまり失うものがない状態にある人を指すネットスラングです。
家族や仕事、財産などの社会的な基盤を欠いていることで、結果を気にせず衝動的な行動に出やすい特徴があるとされているそうです。
そう 『無敵の人』 は守るモノ、大事なモノがない。つまり、失うものがない。として生まれてきた言葉なのです。
だとしたら、せめて自分自身くらいは大事にしてほしいモンです。
だって、自分さえ自分を大事にできないなら、誰も大事にしてくれないし、誰のことも大事にすることはできない気もするしね。
敵がいないから『無敵』って言っても、周りから誰もいなくなっただけじゃん。そんなの虚しいでしょ。
『アナタの行動は本当に自分を大切にできてますか?』 。。。
あららら。
改善の余地は、まだまだ、ありそうですが、これは良いパワーワードがポロっと生まれました。
エッセイは書き続けるもんですね。次回公演にでてきそうです。
しかしながら、最近のエッセイの内容は 『皮肉』 で埋め尽くされそうになってきていますね。
仕方がありません。
だって、次回公演は『アイロニーの丘』ですからね、自然とそんなことばかり考えてしまうのです。
よしっ。話を戻しましょう。
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