え~~~っと。
何の話をしていたんだっけ?
ああ、そうそう、今回は 『言葉』 についてでした。
では、まず、ココからは、人は 『性善説』 ではなく 『性悪説』 だと仮定して話をしていきたいと思います。
つまり、そもそも、人は攻撃的であり、ルールの中では何をしてもいいと思っている生き物である、と言うことです。
そもそも誰かが唱えた 『性善説』 が正しいのなら、ルールなんて概念は存在しないのです。
だからこそ、ルールを逸脱した絶対的な悪が目の前に現れ、自分が攻撃されないと理解できた時、人は自分にはまったく関係ない悪に対して平気で石を投げつけたりするんです。
なぜなら、自分は正義の代弁者だから。
ルールの名の元に悪を捌くわけです。
こうなると、もう歯止めがききません、だって、正義を執行するのって楽しいですからね。普段溜まっているフラストレーションをここぞとばかりに爆発させるのです。
自重しなさいよ、と思いませんか?
アンタにとっては他人だろ。気を使っていこうぜ。
タイトルの回収を二回やってみました。
あはは。
きっとね、クラレッタ・ペタッチのスカートを直してくれるような人は稀なのです。
悪人と決めつけたら、その人の 『本当』 なんて見ようとしないのです。
いくらソイツが化物に見えたとしても、その化物に石を投げつけるのなら、己自身も化物化が進んでいることに気をつけないといけないのにね。
あっ。
『クラレッタ・ペタッチ』って?誰かって?
『スカート』 がどうしたって?
辞書で調べなっ。
あっ。
ゴメンナサイ。ついつい、次回公演『アイロニーの丘』のキャッチフレーズを使ってしまいました。
簡潔に 『クラレッタのスカート』 の話を説明すると。
-
鬼が笑って、私が泣いた、七月七日
記事がありません
