彼女は、イタリアの独裁者で政治思想「ファシズム」を構築した 『ベニート・ムッソリーニ』 の愛人で、ずっと彼と一緒にいたという理由だけで処刑されてしまった女性です。
クラレッタは、処刑後に逆さ吊りにされ、さらし者にされるわけですが、その際に彼女のスカートがめくれてしまい広場は大騒ぎになります。
誰もが彼女に気なんて使いません。
が。
その公衆の面前の中で彼女の元に歩み寄り、スカートを戻した、勇敢な人物が居たとか、居なかったとか、そんな希望のお話です。
誰かが書いた本で読んだような気がします。
きっと、一歩踏み出すには勇気が必要です。何かが間違ってると思ったとしても、周囲から別の正しいの大波が押し寄せてきたら流されてしまうような世の中です。
が。
そんな時こそ、気を使うのです。だって、相手は他人なのですから。
ソイツが 『聖人』 だろうが 『悪人』 だろうが自分にとっては 『ただの他人』 です。
ミカタによって世界はいくらでもひっくり返ります。
そう考えると、足を踏み出しやすくなると思いませんか?
あはは。
何処で読んだのかも、誰が書いたのかも、わからない本の話ですが、オイラには影響力がデカかったようで感情が揺さぶられ記憶として残っているのかもしれません。
きっと、原動力なんてのは感情から来るものが大きいのです。
その感情の向かう先をコントロールする 『言葉』 ってのはやっぱり面白いですね、まさに『ペンは剣より強し』ですな。
同じ事象を仇討ちで「正義」と感じさせたり、逆に復讐として「悲劇」として捉えさせることも可能だったりしそうだからね。
なぜかって?
『言葉』 を足すだけでアナタの見方も変わるからです。
では、クラレッタの話に戻りましょう。
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鬼が笑って、私が泣いた、七月七日
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