匿名希望の人々は好き勝手言って、自由な雲のように散っていく。

『嵐の後』にも静けさは残っていたりもするのです。

どうも、匿名の人々って名前を隠しているから発言が自由だと思ったら、オイラも芸名を使っていて匿名の人々と変わらない事実に今更ながらに気がついた中村太陽です。

もちろん、オイラの場合は、がっつり顔バレしていますが、何かに守られている気はします。

それに20年以上も使っている名前なので馴染み過ぎてもいます。

中村太陽が本名だと思っている役者さんも多いのです。

が。よくよく考えてください。

最近じゃ、当たり前かもしれませんが、初老を超えた爺さんの名前が『太陽』ですよ。

昭和にそんなキラキラネームはありえません。

しかし、最初はこっぱずかしかったこの名前も今や普通になりました。

本名以上に浸透しています。

いつしか、隠れ蓑(かくれみの)を着ていることを忘れてしまっています。

だって、ほぼほぼ見えてるからね、ただただ、古い蓑を着続けているだけだからね。

それでも、本名では書けないようなことが書けたりもするから不思議です。

それに、この隠れ蓑には、もう、立派に苔むしていますからね。

えっへん。

 中村太陽という名を使うなら、せめて自分が楽しめる文章を書かなきゃね。

さて、今年はどんなことを書いたかな?

2025年12月です。一年を振り返る時期ですね、そりゃ、枕も長くなるって話です。

しかも、前回のエッセイで2025年分のエッセイは終わりだと勘違いして『来年会いましょう』なんて書いてしまいました。

なもんで、今回のエッセイ本編は短く今年を振り返ります。

今年は、エッセイは勿論ですが、ショートドラマを撮影したり、歌詞書いて音楽作ったり、PV撮影したり、舞台以外の活動が多かった一年のような気がします。

くだらないことに時間を使ってるんじゃないよ、と一部の人には批判されたりもしましたが、芝居を始めた時にも同じようなことを沢山言われたのを思い出し、初老なのに少し若者気分を味わうことができました。

あはは。

それに、別に大々的な作品でなくても、丹精込めて作ったモノであれば意外と充実感は得られるものでもあると、この歳になって実感できたような気さえします。

どんなこともやってみると新しい景色が広がることもあるのです。

ただ、あくまでサブなのですサブ。

メインは別にあるのです。

この一年、エッセイでは皮肉めいたことばかり書いてきました、それは、2026年2月に『アイロニーの丘』って公演をやるからです。

オイラの作品は日記でもあるので、このエッセイを読んでくれている人はより面白いと思います。

ぜひ、劇場で楽しんでもらえたら嬉しいです。

年の瀬に来年の宣伝をするなんてはしたないと思われるかもしれませんが、年末だろうが年始だろうが、公演があるのであれば宣伝するのがオイラです。

どれだけ本性を隠そうとしてもいずれはバレるのです、どんだけ上手く隠そうとしてもミエミエなのです。

きっとね、天狗の隠れ蓑があったとしても同じです。

どんな自分であろうが、最初から堂々と歩いていれば、恥ずかしさなんてなくなるのです。

来年はコソコソしない。

これで行きたいと思います。

もし『天狗の隠れ蓑』を手に入れたら、ちゃんと燃えるゴミとして捨てようと思います。

おしまい。2025・12・15

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