小劇場で芝居をしている人達は、稽古が終わったら、安い居酒屋で熱く芝居論を語り明かしている。なんてイメージがつきまとうものです。
無くはないと思います、そんな人達も多いのかもしれません、しかし、それは仕事の愚痴を居酒屋で語り合うサラリーマンと同じくらいの割合で、芝居をしていることが原因ではないと思います。
オイラなんて、週一のワークショップが終わったら、高い確率でお気に入りの焼肉屋さんに行きますし、稽古後に居酒屋に行くことは稀です。
しかし、困ったことに、イメージが先行していると、売れてない役者なんて「やっすい居酒屋」で「やっすい酒」を飲んでいる方が『しっくりくる』というか『絵になる』のではないかと思うのです、なんと言うか『リアリティー』があるのです。
そうなのです、コレがオイラが考える『リアリティー』の正体なのです。
オイラは演出する時に「リアルはいらない、リアリティーが欲しい」って、よく口に出してしまいますが、このリアリティーってのは、意味合い的には『概念』に近いので、人様がイメージしていることに直結することが多いと思うのです。
そもそも『リアリティー』は実際の事象とは関係ないところに存在することが多く、意外と曖昧なものです、しかも、演出家や作家によって異なる世界観で作られる芝居中のリアリティーなんて、もはや、あってないようなものです。
しかし、実際には存在します。
例えば、お客さんが「リアルっぽい」と感じたり、「違和感なく見れる」と思ったり、「ああ、あるある」と共感できる事象がそれにあたります。
もちろん、作られた物語上のリアリティーも存在します、例えば、漫画『タッチ』の浅倉南のように、幼馴染のヒロインは可愛いというイメージがつきものです。
どうでしょう?逆にイメージできますか、ぶちゃいくなヒロイン。
まあ、ぶちゃいくな時点でヒロインではないとの意見まで出てきそうですが、通常、主人公の幼馴染は可愛いイメージがあります、ぶっちゃけ、可愛いです。
でも、実際、皆さんの幼馴染ってどうですか?
深掘りはしませんが、きっと、皆が皆、可愛いわけがないのです。
でも、物語の中の幼馴染は、皆が皆、可愛いのです。
おそらく、このイメージをオイラ達に植え付けたのは『あだち充』先生だとは思いますが、もう今となっては払拭できないのです。【ヒロイン=可愛い】これが物語における『リアリティー』なのです。
ねっ、なんか全然、リアルとかけ離れてきたでしょ。