劇団や座組によって、芝居の世界観は大きく異なります。
稽古で、その世界の普通のラインを探して合わせていくのですが、たまに強制的に誰かの世界観になることがあります。
なんと言うか、大御所風の役者さんが稽古場で「その喋り方は普通に見えない」とか言いだしたりして、それが蔓延したりすると、もうダメ、どう転んでも、その稽古場では「その喋り方」は普通に見えなくなる訳です。
強大な個人の固定概念が過ぎると「そんな奴いない」とか「漫画だ」とか、個人が作った世界観で稽古場が飽和状態になり新しい概念が閉ざされてしまいます。
オイラ的には、日常でも、たまに居るだろ、馬鹿みたいに変な喋り方する奴、本当のリアルってそれだろ。とか、思うこともあるのですが。
リアルとは日常生活の中で最も多くの人の喋り方と言わんばかりです。
かと思いきや。
『声が小さい、聞こえない、届かない』とか言い出して、しまいには、ちゃんと声が聞こえない奴は舞台上でリアルに見えない、そんな、バカみたいな芝居のセオリーを堂々と語りだす輩も現れるのです。
あははは。
日常生活でそんなに声がでかい人なんてそうそういないのにね。
そうなのです、舞台上のリアルなんて追求しだすと必ず矛盾が生まれてくるものなのです、つまり、何処まで行っても、矛盾の総和こそが芝居なのかもしれません。
勿論、持論です。
と言うか、あんまりこんな事を書くと役者さんに嫌われそうだな~。
まあ、エッセイだし、好かれている訳でもないから、いっか。
続けよう。