中村太陽

中村太陽

原ちゃんは、東京に出て来るまでは、北海道で何年ぐらい劇団をやってたんですか?

原あゆみ

原あゆみ

歴史を遡ると、高校から演劇をやり始めて、そこから演劇の短大に行きました。
演劇専門学科みたいな。
そのあと、4年制に編入して4年間大学で演劇をやるんですけど、在学中にメロトゲニの前身劇団『おかめの三角フラスコ』を立ち上げまして、札幌で活動していたところ、たまたま客演することになった札幌の劇団が、東京で公演するというので、「このタイミングじゃないと東京に出られないんじゃないか」と思って。

中村太陽

中村太陽

それで東京に?

原あゆみ

原あゆみ

最初は、『おかめの三角フラスコ』のメンバーは、札幌に残る組と東京に出る組みたいな感じで分かれたんですけど、その時、代表の子と一緒に、何のツテもない状態で、東京に出てきた流れです。

中村太陽

中村太陽

『おかめの三角フラスコ』の地元組は、今も札幌でやっているんですか?

原あゆみ

原あゆみ

休止していますが名前はあります。
札幌で活動している団員は、他の劇団に出演する時は、名前の後ろに(おかめの三角フラスコ)を入れて出演しています。

中村太陽

中村太陽

どうして東京に出たいと思ったんですか?

原あゆみ

原あゆみ

北海道って札幌を中心に旭川とかに劇場はあるんですけど、演劇のコミュニティが割と狭くて、「どうせやるなら、東京に行った方がいいよね」って。
その時の勢いのまま出てきた感じですね。

中村太陽

中村太陽

僕も福岡から19歳の時に東京に来て、友達の家を渡り歩いてました。
半年続けて、もう限界だと思って、それで部屋借りたんですけど、あの時の勢いはもうないですね。

原あゆみ

原あゆみ

あの時の衝動って、大事だったんですよね。

中村太陽

中村太陽

福岡って、20年前だと、ちゃんとした劇場しかなくて、小劇場がなかったんですよ。
お芝居の情報も古いですし、当時はビデオで、『サモアリナンズ』とか、『サードステージ』とか、『つかこうへい劇団』とかを観て、「東京ってすげえな」って。

原あゆみ

原あゆみ

東京への憧れがあったって感じですね。

中村太陽

中村太陽

やるなら1回東京でやってみて、持ち帰るみたいな。
福岡がすごい好きだったので、できれば福岡でやりたいというのが、ずっとありました。
だから、9-Statesみたいな名前をつけちゃったんですけど、1回も演ってないですね。

原あゆみ

原あゆみ

ツアーとかは今後しないんですか?

中村太陽

中村太陽

もう友達が福岡にいないけど、どこかで企画してやってみたいですね。
逆に北海道の公演とかはやらないんですか?

原あゆみ

原あゆみ

何回か北海道に帰って演劇作りをしたり、メロトゲニでもツアーで東京と北海道を回ったりしました。

中村太陽

中村太陽

地元って、結構お客さん集まりますか?

原あゆみ

原あゆみ

札幌は演劇に協力的で、芸術とか演劇をやる人が遠征した時用の寮や稽古場があるんですけど、そこでみんな泊まったり稽古したりして、その繋がりで観にきてくれました。

中村太陽

中村太陽

いいですね北海道。
地元がそんなに協力的なら、どうにかして応えたいですね。

原あゆみ

原あゆみ

応えられたらいいな。

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