タイトルで『芸術』なんてカッコよく書いちゃいましたけど、作品を作る上で期日ってスゲー大事なんです。

逆に言うと、それがないと作品なんて世に出てこないとも思うのです。

舞台の台本を書いているオイラの場合、わかりやすく言うと最終期日は公演初日です。

もちろん、いろいろとご意見はあると思います。ただ、最終期日はやはり公演初日なのです。そこまでに何とかするので す。

ただ、この最終期日に台本なんて上げてしまうと、役者は台本を持ったまま公演をやることになるので、オイラのモノサ シで「ここまでには台本を書き上げよう」とオイラが決めるわけです。

もちろん、顔合わせの 2 か月前には初稿があり、2 か月でブラッシュアップして顔合わせの前に脱稿しているのが一番 かもしれません。ただ……ね……そんなことしても。きっと、脱稿した後にね、また書き直すんですよ、オイラ。

だって、オイラ的には「期日前」だからね。2 週間前までなら何とかなると思ってるからね。だから、ギリギリまで書き直し ちゃうんです。

つまりね、期日がなかったら「のほほん」と永遠に直し続けちゃうのです。いつまでたっても完成を迎えることはないので す。

名言っぽく言うならば。。。 『完成とは妥協という名の終電である』

アレ? 昔、師匠が言っていた「演出とは妥協である」に、なんか近い気がするな。

なんということでしょう。エッセイを書くことで、少しだけ、師匠が言っていたことが理解できたような気がします。

もちろん、作家は演出家に脚本を渡すまでの期限があります。終電を逃したら大変なことになります。が、オイラみたい に『作・演出』をしている人は、オイラが脚本を書いてオイラに渡す、みたいなことになっているので終電時刻はオイラが 決めるのです。

知ってますよ。無茶苦茶言ってることくらい。でもね、本当のことでもあるのです。つまり、オイラは、どこまでも本番初日 に最終期日を近づけることができるのです。

でもね、そんな無謀なことはいたしません。楽しみにしてくれている人もいます。お金だってもらってます。遊びではない のです。だから、ある程度の時期を設けます。その中で、できることを全力でやって幕をあけるのです。

つまり、どこかでオイラは、いつも妥協しているのです。

なもんで、オイラはいつも「今回はココまでか〜」とか思って、公演が終わったら、すぐに次の公演での「モット」を考える わけです。

正直、こんな性格のせいで、長いこと舞台を作ってきましたが、満足した公演なんて一度もないのです。「あそこをああ しとけば、もうちょい良くなったかもな」とかが絶対に出てくるのです。悲しいかな、大楽の打ち上げで感傷に浸る暇など ないのです。

たまに「私には才能がない」とか「上手くやれない」とか言って泣きじゃくる若い子がいますけど、大丈夫ですよ。オイラ も才能はないので。思い通りにいった公演なんて一度もないので。逆に「この公演は最高だった!」とか満面の笑みで 言えてる人を見ると、羨ましくもあり、心配にもなります。だって、オイラだったら、そんな公演やれたら芝居なんて辞め ちゃうだろうしね。

おそらく、芸術という言葉を使った場合の『作品作り』って、いつでも、「次の作品作り」の「通過点」でしかないのかもし れません。

だから、多くの作品は、作者が亡くなった後に完成となり光を放つのかもしれませんね。

やだよ〜。死んだら作品が完成するって。だって、未完だけど手を加えられる人物がいなくなったから完成した、ってこ とになるからね。

まあ、ある意味で『寿命』が一番の提出期日なのかもしれませんね。 だとしたら、こんなことを書いている間にも、ドンドン、ドンドン、時間は消費されているわけですよ。もう怖いです。

『時間は人生の財産』です。しかもこれは増えることはありません。消費する一方です。無駄話をしている暇はないので す。

そうっ。今回は『作詞』について書きたかったのです。

TOP