そうだガンダーラに行こう

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何処かにあるユートピア、それがガンダーラ。
有名な話です。
どうしたら行けるのか教えてほしいもんですね。

芝居道なんてものがあるとしたらおそらく同じような気がします。
極地には辿り着くことなんて事はないのでしょう。

さてさて、そんなガンダーラへの途方もない道を歩いているメンバーは、たまに、こんな言葉を口走ることがあります。
芝居が上手くなりたい。
「もう40半ばだぞ」と思われるかもしれませんが、40半ばまで馬鹿みたいに芝居を続けるてるような奴等だからこんな事を言ってるのかもしれません。

しかしながら、よくよく考えると、そもそも、いい芝居ってなんだよ?って話になると思うのですが、昔からよく言われているのは、最低限、板の上で生きる事。
逆にダメな場合って、板の上の立ててないとか言われますしね。

ただ、よく分かんないですよね、板の上って。

なに?

役者さんは皆が皆、板の上に立ってるじゃん。
それに良い芝居と悪い芝居の違いなんて、演出家によって良い悪いが覆されることだって多々あるし、極論、好みだったりすることもあると思うんです。

勿論、色んな演出家や作家さんの好みに合うように技術があるわけで、最低限、板の上に立てるようになっとけよ、って話だとは思うのですが、悲しいかな、演出家や作家の数だけ、独特な世界観があるわけで、すべての世界にマッチする役者なんていないと思うんです。

まあ、相性ってやつですかね。
合う合わないは必ず存在するのです。
なので、役者の皆さん、技術の押し売りなんてしなくてもいいんです。
相性のいい演出家を見つけてください。
まあ、なかなか見つからなかったりもするんですけどね。
それも運ってやつです。

そこで、今回は「オイラが考えるイイ役者とは」について深掘りしていこうと思います。

面がいいとか、声がいいとか、役者さんにも色々あると思いますが、結局のところ、自分自身への理解度だと思ってます。

簡単な話、自分をどれだけ理解できているかが大事だと思うんですよね。
コレって、自分がどう思っているかなんてあんまり関係ないってことなんですけどね。

例えば、自分はとてもネガティブな人間だと思っている人がいたとして、その人が実は周りからはとてもポジティブに見えている場合、その人はポジティブな人な訳なんです。

ココはテストに出るので覚えておいてください。
役者は、どう思っているか、ではなく、どう思われているかが重要なんです。

極論ですが、役者は見られてなんぼの世界なので自分がどうみられているのかを把握できていて、しっかりと自分の武器の使い方を知っている人が少なくとオイラが考えるイイ役者像です。

なもんで、リアルな芝居を追求する役者さんとは相性が悪かったりもします。
オイラが作る世界はリアルよりもリアリティーの方が大事だと思っている所が大きいので。

そもそも、台本がある以上は、何処まで行っても作りモンですからね。
リアルにだって限界があります。
って言うか、別にリアルを追求したい訳じゃないし、こっちとら物語を作ってるんですから、ただ、共感していただく為のリアリティーは大切にしたいので凝縮された時間を想像する中で新たなリアルを創造していくのです。

そんなオイラは、演出の中で「普通にやってください」と言うことが多いみたいです。
「普通」ってなんだよって思われるかと思いますが、逆に言えば、普通に見えない、ってだけの話ですから、無理な表現と言うか、技術の押し売りは必要ないですよ、って事なんですけど、やっぱり、ある程度の表現をしないと「お客さんに伝わらない」と心配になってしまう役者さんも多くいるわけで、徐々に表現が大きくなっていく様を見ていると、コクーンでやるわけじゃないんだからって言いたくなります、が、そこはグッと堪えて「普通にやってください」と冷静にですね、オイラの気持ちをお伝えするわけです。

なんか、文章だけ読んでると性格悪いよね、オイラ。
否定はしません。

きっと言葉が足りないのです。
よく言われてます、が、そもそも口が悪いので、多くを喋るとボロが出るのも事実なので、しまいにはハラスメントで訴えられかねないのです。
そう、「仕方ない」のです。

前回公演の台詞で書きました「仕方ない」は諦めの言葉だと。

そうです、オイラはオイラ自分自身についてはある程度、諦めているのです。
これも、意外と大事なことだと思いませんか?

無理なんてしてもロクなことにはならないと思いませんか?

そんなオイラでも、やっぱり、栄光に向かって走るあの列車に乗ってガンダーラに向かいたくなるのです。

4月公演も無事に終わって、少し落ち着いたので名曲にかまけて、オイラの演出についての言い訳を書いてみました。

きっと、芝居の答えは沢山あるのです。
それは、つまり、答えなんてない、と同義なのです。

個人の答えを複数で表現する、総合芸術なのですから。

なもんで、オイラは自分の武器をちゃんと扱える人が好きなのです。

さーて、来年はどんな役者さんと出会えるのだろ?楽しみですね。

そうだ、こないだ、当日パンフを失くしたと言うお客さんがあいさつ文をもう一回読みたいとのリクエストがあったので、ココに載せておきますね。

それでは、また。

おしまい。

PS・「世迷子とカンタータのあいさつ文」より

『出会いがあるから別れがある』旗揚げ公演の謳い文句です。

このユニットができて20年なんですって、少し前なら成人式をやらなきゃですね、まあ、特に20年経ったからなんだって訳でもないんですけど、せっかくなんで記念公演やってみました。あはは。

最近は、公演を打つ回数も減り、昔に比べたらドップリ小劇場に浸かってるわけでもなく、やってみたい事をやってみたいと思える人達と、好き勝手に作品作ってる感じがします、いや、どうなんだろ、昔から特に変わらないか、その時、その時、やってみたいことを勝手にやってるし、今考えたら、なんであんなことやったんだろうって思うことも多々あります、あっ、20周年なので、なんか、良い事を書こうと思ったんですけど特に思いつきませんでした。

まあ、今思えば、オイラにとって9-Statesは一人で掲げた旗のようなものだったと思うわけなのです。

九州から出てきたってことで安易に名前を決めて、沢山の人がこの旗の元に集まり色んな所に去っていきました。

志を持って掲げた旗だったハズなのに、掲げることに必死になって、やりたいことを見失った事も多々ある気がするし、そもそも、そんな高尚な志なんて持ってなかったのかもだし、個性を生かした作品作りなんて唄ってみたものの、未だにその答えは出ていません。

それでも、ただただ、のらりくらりと歩いてきました。

20年経っても、他人との距離感がよくわかっていないオイラですので、道中、誰かを裏切ったり、裏切られたり、傷つけたり、傷つけられたりで、心なんて何百回も折れて、旗なんて掲げる気力もなくなり、投げ捨てたこともあったような気がします。

そんでも旗はオイラの代わりに誰かが掲げてくれていたりして、投げ捨てたハズの旗の元に、オイラも、こっそり参加してみたりして。

そんな、どうしようもないオイラがココまでお芝居を続けてこれたのは、周りにいる素晴らしき他人のおかげだったりするので、この場を借りて、ありがとさん、です。

すでにオイラの旗ではなくなった旗ですが、今では、昔より、この旗が誇らしいと思うオイラもいたりします。

が。しかし。イイ話ばかりでもないので、来年も続いてたらいいな~、なんて思っているオイラもいます。

まっ、何はともあれ、これからも、ただただ、のらりくらりと歩いていくだけです。

本日はご来場ありがとうございます。

現在、オイラが集められる最高のキャストとスタッフで作り上げた物語です、最後まで楽しんでいってください。

この作品が10年後もアナタの胸の中に残り続けますように、出会いという言葉に感謝を込めて。

9-States代表/中村太陽

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