こないだ、音楽のライブ会場に向かっている途中、
幼稚園児がオイラに向かって勢いよく手を振ってくれたので、
手を振ってみたら、なんと、オイラの後ろには、
その園児のお母さんがいました。
少し恥ずかしそうにしているオイラにお母さんは笑顔でウチの子がスイマセンと会釈してくれました。
その笑顔が忘れられない思い出となった訳ですが、
気配りができるお母さんってのは子供を育てるプロですね。
あっ、プロなんて言葉を使ってしまいましたが、
本当はプロって言葉の意味をちゃんと理解なんてできてはいなかったりもするオイラです。
と、言うのも、昔、プロの役者だったら、
コレぐらいはやれないとダメだよ、
なんて言葉をよく聞いたのですが、
今でもソノ答えは見つかっていないからです。
なんて言うか、
ソノ、「プロの役者」ってなんなんでしょう?
そもそも、
プロって何?
野球選手とかサッカー選手とかと勘違いしているのかな。
大体ね、小劇場やってる奴にプロなんていませんよ。
基本は稼げないんだから、稼ごうなんて思ったら、
芝居と全く関係ない所でアレ売ったりコレ売ったりして稼ぐしかないんだから。
でも、それってドンドン「プロの役者」からは離れて行ってるような気がするんだよな~。
とか、言ってみたモノの結局は上から目線で偉ぶってる人が苦手なだけなんですけどね。
まあ、そんなことを考え始めた30代中盤頃から、
オイラはお芝居は趣味でやってます、
って言うようになったんだけど、
周りに人に「オマエ芝居を舐めてんのか」と、
偉く冷たい目で見られたりしました。
でもね、日曜画家でもスゲー作品作った人もいるし、
日曜作家でもいいじゃないのかなって思うんですよね。
それこそ、描きたい世界を書こうと思ったら、
売れてないオイラなんて別口で働かないと生活ができない訳で。。。
でも、そんなの関係ないって、
芝居だけで生きていこうなんて考えは傲慢の極みのような気もするんです。
「好きなお芝居を作る」のと「稼げるお芝居を作る」のは、
また違う話だからね。
本当は好きな芝居だけをやって生活できればいいのでしょうけど、現状そうできない人は五万といる訳で、
だから、オイラはそんな人に声を大にして言いたかったりもするわけです。
固~く考えると苦しくなるよ、って。
結局のところ芝居なんて、
いつだって、どこだって、
できるんですから。
今できなくてもやれるようになる日は必ず来るのです。
ん?
そんなのは綺麗事って思う人もいるかと思いますが、
作家が綺麗事を言わなくて誰が言うんですかって話です。
それに、綺麗事を成しえる為には努力はセットですから、
あながち間違っちゃいません。
むか~し、昔、
オイラの師匠である倉森さんが言っていました。
一日一回、芝居の事を考えろ、
それを10年続けられたら認めてやると。
ちっちゃなことからコツコツと、コレが意外と難しいのです。
つまり「お芝居ルーティーン」にチャレンジすればいいのです。
もちろん、今、作った造語です。
そもそもルーティーンとは、
「決まった手順」「お決まりの所作」「日課」などの意味の英語だそうです。
なぜ、カタカナを入れたのかと問われれば、
田舎者は横文字に憧れるからだと答えます。
ユニット名のナインステイツだって直訳したら九州だしね。
ちなみにオイラの一日のルーティーンは、
糖尿病と痛風の薬を青汁で流し込むところから始まります。
コレがオイラのルーティーン。
芝居が入ってないって?
そりゃそうでしょ。
基本は芝居のネタ探しばっかりしてますからね。
何事も蓄積なのです。
これには勝てないのです。
ちょっとしたことでも継続していると、
とんでもないエベレストが出来上がることもあるのです。
愛情だってそうです。
たまに作る親父のキマグレカレーより、
毎日でてくるオカンの味噌汁の方が愛情たっぷりだったりするもんです。
まだ、そのことに気づけていないお子ちゃまは、
いつか、オカンの味噌汁に涙する日が来るので楽しみに待っていてください。
きっと、この企画も継続していくことが大事だということです。
そういうことです。
なんだか、今回のコラム風コラム、
物凄く説教臭い感じがプンプンしてます。
すでに反省が始まっています。
しかし、締め切りもあるのです。
仕方がないのです。
本当に締め切りってね。。。
あっ、そうだ。
締め切りって、
実は作家さんにとってものすごく大事なモンなんです。
そんな大事な締め切りについては、
また、いつかのコラムで気が向いたら語ってみようと思います。
おしまい。