なんか、次のページに包むために『P.S.』を使うのが、もはや儀式みたいになっていますね。
やりたくもないのにやらなきゃいけないみたいな。
そもそもやり始めたのはオイラなのに。。。
変なことを始めたら最後まで責任を取らなければなりませんねっ。
では、話を戻しましょう。
『終わらせる』とはなんでしょうね?
強制的に『終わり』がきた場合には受け入れざるを得ないのである意味で楽なのかもしれません。
つまり、『終わらせる』とは、ただの終わりではない、新たなページをめくるための静かな決断なのです。そして、その先にどんな物語が待っているかは、描いてみなければわからないのです。
しかし、この歳になって『終わらせる』を決断をするには無駄に理由が必要になるのかもしれません。
そうなのです。オイラの近くにいる人々は、もう老人になってきています。
・・・。
少し考えました。
皆は、これから、どこに行きたいのだろうか?
各々、今の手帳にはどんな未来を描いているのだろうか?
きっと、過去の手帳に思い描いた『未来と言う現在』にはなっていない人のほうが多いと思うのです。それでも、まだ未来を思い描こうとしているのなら、なんだけ笑えてくじゃないですか。
それでもね、人ってね、手帳なんて持ってなくても明るい未来を思い描いてしまうものだとも思うのです。
だとしたら。。。やっぱり自然と笑けてくるのです。ケタケタと。
『来年の話をすると鬼が笑う』とはいいますが、もっと先の未来の話をすると何が笑うのでしょうか?
あっ。そうだ。
こないだ七夕だったので七月七日をテーマにした歌詞を書いてみました。
『鬼が笑って、私が泣いた七月七日』というタイトルです。
何かを終わらせることで『笑う』ことができる、そんな童話みたい曲になればと願いを込めました。
発表は2026年の7月です。
本当に来年の話です。笑っちゃいますね。
最近は、脚本なんかより、歌詞ばっかり書いてます。
『太陽のお歌詩箱』なんて企画がそのころまで続いているかどうかなんてわからないのにね。
やっぱり、新しいことにチャレンジするのはワクワクするもんです。
『馬鹿みたいなことやってるんじゃないよ』と冷ややかな目で見られているのはモチロン知っているのです。
でもね、思い通りの未来にならないとしても、思い描かないと辿り着くことは永遠にないのです。
イイじゃない。分岐して違う場所に辿り着いたとしても見たことない景色が見えたのなら。
気にするな。ですっ。
そもそも、芝居なんてやり始めた時は今の100倍くらい『馬鹿みたいなことやってるんじゃないよ目線』の集中砲火でしたしね。
そんな奴らも、今じゃ『応援してくれる』ようになったりもするのです。
もしかすると、オイラがあの頃に思い描いていた未来なんかより、実際の現在のほうがいいのかもしれませんね。
きっと、そんなもんです、イイ未来を創造すると、自然とイイ現在が訪れるものです。
きっと、考えかた次第です。
あはは。
でもね、そんな考えかたをしたいなら、やっぱり、手帳には思い描いた夢を書いてみようよ。
P.S.
追伸。
いや、もういいや。
おしまい。2025・07・15
