きっとね、リスペクトがない討論なんてただの暴論でしかなくて、いつしか暴言が飛び交う嵐となると思うのです。
どれだけ、ディスカッションと謡(うた)ったとしてもリスペクトがないと楽しくないしね。
別に勝ち負けなんてどうでもいいのです、打ち負かすことばかり考えるから、自分の主張だけを通そうとするからリスペクトが持てなくなるのです。
相手のことをリスペクトせずに力を誇示すると、自分自身がリスペクトを失ったより強大な力に潰されるだけなのにね。。
ディスカッションって意見を交換し、新しい視点を得るためのものなのにね。
そんなのは 『なれ合い』 だと馬鹿にする人もいます。
そう。若い頃のオイラです。
今なら言ってやれそうです。単純に気を使えよ、ってね。
おお~~~。今回のエッセイはタイトル回収が早かったですね。
最近は 『長い長い』 と言われてますからね、オイラだって少しは勉強するのです。
それに 『長い長い』 と言ってる人だって、読んではくれているってことです。それだけでリスペクトしてくれていると思うので、一回、意見は受け入れてみようと思っています。
が。
実行するかどうかは別の話です。
今回は 『言葉』 について書いてみたいのです。
だってね、ちょっと思ったことがあるんですよ。
『日本語』って『使い方』で印象が大きく変わってくるなって思いませんか?
同じことをやったとしても言葉が違うだけ印象が真逆になることだってあると思いませんか?
例えば。
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鬼が笑って、私が泣いた、七月七日
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