さあ、もう一度、大きな声で、せ~の、『中村太陽は性格が悪~~い』

公演前の皆でやってるエンジンみたいな奴の時に「じゅん君」の掛け声でやってくれないかな。

なぜ「じゅん君」かって?

それは勿論、毎回毎回、メンバーの中でこのエッセイを読んでくれているのは「じゅん君」位しかいないからです。

そして、オイラはひそかに「じゅん君」も性格が悪いと思っているからです。

ココ重要です、次のテストの応用問題で出てきます。

陰口はあんまり好きじゃないんだけど「じゅん君」はエッセイを読んでくれているわけだから、陰口にはならないと思うので、ちゃんと言っておきます「せばたじゅんも性格が悪~~~い」

お~、なんか、仲間ができると安心するのは何故だろう、これが数の力なのかもしれないですね。

漠然(バクゼン)とした安心感が体を包んでいくのが分かります。ただ、知ってもいるんです、ただただ、漠然(バクゼン)としているって、これは本当に安心していると言っていいのでしょうか?

スグ心配になって色んなことを疑ってしまうのがオイラの悪い癖です。

なんて言うか、真っ直ぐじゃないんでしょうね、根本が白ではなく黒なんでしょうね、つまり【性善説(せいぜんせつ)】ではなく【性悪説(せいあくせつ)】側の人間なんでしょうね、オイラ。

次回公演で、この『性善説』と『性悪説』の言葉を使ったりもしていますが、意味合いとしては『人はみな生まれつき善の性質をもつ』とする説と『悪の性質をもつ』とする説だったりするそうです。

つまり、性善説ならば、人間にはもともと善の端緒(タンショ)がそなわっており、それを発展させれば徳性に至ることができ、性悪説ならば、人の本性は悪であり、善になるには教育、ルールが必要であるという考え方です。

つまり。性悪説であるオイラはルールに従って更生していく必要があるのです。

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