レジで買い物をすましたお客さんに店員は『ありがとうございました』って、言うと思うんですが、その言葉を何処まで変えることができるか、という遊びをやっていたんです。もちろん、バレたらクビです。

でもね、そんなもの若いオイラには関係なかったのでしょうね。とにかくバイト仲間と色々とやっていました。

最初はどれだけ言葉を抜けるか。例えば「ありがざました」みたいなことから始まったのですが、次第に、スポーツ選手がよく言っている「あしたっ」となり、何を何処で間違ったか、少しずつ過剰に変更されていき「あしたはあめでした」みたいなことになって、最終的にはフワッと濁して元気よく「アントニオ猪木でした」と言っていました。

よく、考えてください、自分が買い物をした後に目の前にいる店員がまさか「ありがとうございました」を「アントニオ猪木でした」と言っているとは誰も思わないので、不思議なことにほとんどの人はそのままスルーしていくのです。

むしろ、『元気いいね』なんて言葉を笑顔でかけてくれるのです。

怖いですね、先入観って。だって猪木ですよ猪木、それがまかり通るのです。

たまに。「ん?」って顔をする人も居たりするのですが、その時はすかさず「ありがとうございました」と、はっきり、もう一度、伝えてあげるのです。すると、『ああ、聞き間違えか」みたいな顔をして笑顔で『どうも』と言って去っていくんです。

そりゃ、そうですよ、まさか、「アントニオ猪木でした」って言った?

なんて、聞き返せませんからね。

大体、皆が皆「アントニオ猪木でした」なんてことを言う奴はいないと思い込んでいますからね。ただね、いるんですよ、そんな固定概念を覆すバカ者が。いや、昔は確かにいたのです。

気をつけてください。もしかしたら現在も誰かが受け継いでいるかもしれません。聞き慣れている言葉こそ、そこにはまやかしが潜んでいるかもしれません。

なぜ受け継がれているのかと言うと。

お礼がちゃんと言えない後輩とかに『一緒にやってみる?』とか言ってやらせてみたら、ソイツ、ちゃんと挨拶できるようになったりしたんです。変なプライドを捨ててくれたんです。もちろん言葉は『ありがとうございました』ではなく『あしたあめでした』だったりするんですけど。

元気よく笑顔で言ってたりしたんですよね。なんと言うか。なにも言わないでムスッとしてるよりはいいじゃないですか。

もしかしたら「やらされてる」って概念さえなくなると、どんな意固地な子でも楽しく生きる方法が見つかるのかもしれないですね。

いや。知ってますよ、ダメなことをヤってたってことくらい、昔のオイラへのクレームは昔のオイラしか受けつけないので、現在のオイラへのバッシングはノーセンキューです。

あはは。

だって、現在のオイラは現在のオイラで。公演直後ということもあり、いろいろな批判にさらされていますからね。もちろん、その10倍は良い感想もいただいているとは思っているのですが。。。

『思っている』、つまり、これは希望なのです、なぜ希望かって?それは最初に身内から批判された問題にぶち当たります。

その最初の批判とは。なんとアンケートを「見る」か「見ないか」問題です。

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