のり弁が王様

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結構、前の話ですが、滝が見たいと思い、有給休暇を使い、栃木県に小旅行に行ってみました。
どうなんでしょう、旅行好きの人ってどれくらいいるんですかね。
オイラは40歳を超えてようやく旅行の醍醐味が分かってきたような気がします。
日常との変化を楽しんだり、知らない文化に触れてみたり、単純に贅沢してストレス解消したり、なんか分かんないけど感動してみたり。

しかしながら、そもそも、感動ってどこからやってくるんですかね。
きっと、物語を作るみたいにセオリーみたいなモノってあると思うんです。
でも、全然、関係ない所で、なんか感動したりもするじゃないですか。
他の人はしていないのに、自分だけのトキメキみたいな。

おっと、旅行の話に戻りますが、滝を見る為の旅行だったので、マイナスイオンの水しぶきが感じられる滝の前に辿り着いた時には、もうワクワク全開です。
一緒に同行してもらった人達も物凄く感動して騒いでいました。
勿論、オイラも皆に併せて盛り上がってみたものの。

実際には、アレっ? って感じだったんですよね。

ビックリしました。
滝を目の前にして、そんなに感動していないオイラがソコにはいたのです。

助走が足りなかったのでしょうか?
感動する為にはそれまでの経緯が必要ですからね。
オイラの場合、10年振りの旅行の為に休みを取り、夜勤明けで睡眠もとれない中、何時間も一人で運転して皆を運び、杖がないと歩けない状態でゴールを迎える。

うん。十分だと思います。
感動を生む為の伏線は出来ていると思います。

単純に好みじゃなかったということでしょうか。
別にナイアガラの滝を想像していた訳ではないし、滝を見る為に旅行を計画した訳ですから興味がないわけじゃないと思うんです。
では、何故、キョトンとしている自分がソコにいたのでしょうか。

自分自身にクエッションです。

あの時もそうです。
えぼし岩を見たくて、茅ヶ崎に行った時も同じ感じでした。
30分位、見続けたんですけどね。
キョトンとしてました。

おっと、今は、別の旅行の話をしている時ではないので話を戻しますが、感情を何処かに置き忘れてしまったオイラは、別日に全く興味がなかったお城を見に行くことになりました。
実際に目の前にお城があるのを見たら、なんか知らんけど涙がこぼれてました。
全然、感動してて、戻ってきてました。
カムバック感情です。

何でですかね。
特にお城が好きだった訳でもないんですけどね。

ギャップですかね。
期待し過ぎても良くないと、不意に目に入ったモノには叶わないのだから。

そんな馬鹿な話がありますか?

どんだけ期待しちゃ駄目なんですか。

期待したら損しかしないじゃないですか。

希望を抱くから絶望が生まれる、みたいな話になってるじゃないですか。

それってアレでしょ。
どっちが最初にあるか問題でしょ。
悲劇の中に喜劇があるのか、喜劇の中に悲劇があるのかで話は大きく変わってくるみたいな。

なんだソレっ。

感動のメカニズムを理解するにはオイラにはまだ修業が足りないのかもしれません。

ただただ、旅行を楽しみたかっただけなんですけどね。

いや、旅行は楽しかったんですよ。
ただ、印象的な思い出が、感動しない自分がいる、って事だったから、少し寂しくなったというかなんと言うか。

あとはそうですね。
旅行から帰ってきて、家で食べた、のり弁とうまかっちゃんが最高に美味しかった訳で、変化を楽しむハズの旅行は、結局、「日常って悪くない」って認識させてくれるモノでした。

と、在り来たりな旅行の話をしてみましたが、勿論、今回も宣伝です。

次回公演は、とある温泉街の、とある旅館で起こる、とある物語です。

どどんっ。

20周年なんでポストカード型のチラシも作ってみました。

ばばんっ。

いつもの正方形のチラシも勿論あります。

旅行気分で下北沢に遊びに来ませんか?

期待して大丈夫ですよ、もしかしたら絶望が待っているかもしれませんが、そこには、きっと希望の光だってあるのですから。

ここ数年、ささやかな日常の中に起こる物語を描いていました。
その中で、最近は「面白いモノ」って何だろう、みたいなことを考えすぎて、オイラ自身の面白いと言う概念がフワフワし始めたので、この作品をやり終えたら、一度、原点回帰をしようと思います。

きっと、自分の中の面白いが不安定になっているのは作家としては末期かもしれないので。

あはは。

昔のオイラだったら、面白いって、なんだかんだで、直感だから。

とか、馬鹿なこと言いそうなんですが、もしかしたら、あながち遠くないのかもしれないです。

そんな、「迷宮、面白いとは?」にオイラを誘ってくれた今作品、難産だったこそ愛おしくもあります。

見逃したら損するぜ。

おしまい。 

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