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2025年が始まってから、もう一カ月以上が経ちました。

今年は気が付いたら職場のデスクで年が明けていたのですが、よくよく考えてみたら、毎年、毎年、ココ10年近くは職場で年越しを迎えている事実に気づいてしまいました。なんてことでしょう。気が付かない方が良い事象って身近にあることに気づかされてしまいました。

ガガガ、ガ~~~ン。

しかし、それでもオイラは元気です。

ところで皆さんは、どのような年越しを過ごしましたか?

4月の公演を見に来た時に教えてください、体調崩してなければ、しれっと受付近くにいると思います。

最近は年齢のせいか体調が悪い日が結構な頻度で訪れるようになりました。毎月通っている病院の先生からは大きな病院に行った方が良いと言われ、ああ、本格的に人生のカウントダウンは秒読みなのかな?
なんてことを考えるようになりました。

しかし、それでもオイラは元気です。

なんてったって、死亡保険に加入してますからね、死んだ後にお金のことで誰かに迷惑をかけることはありません。

死んだ後まで誰かに迷惑をかけるなんてご法度です。ここまで好き勝手に生きて来たわけですから。

昔から『人生、太く短く、失敗したら野垂れ死に』なんてことをよく言っていました。

上京した時の覚悟だけはいっちょ前な気がします。

当時のオイラは根拠のない自信で満ち溢れていて、失敗なんてしようもんなら、本気で野垂れ死にしてやろうと思っていたわけですが。。。

なんだろうね、おそらく、ココまで成功と言えるモノがないオイラは失敗を繰り返しているのだと思うのだけど、意外や意外、野垂れ死にしてませんでした。

今も昔も『人生、太く短く、失敗したら野垂れ死に』って、本気で思っている訳ですが、外野から言わせると違うみたいです。

オイラは「人生、30年のつもりでやってきた」とか「だいぶ長く生きすぎた」なんてことをよくドヤ顔しながら口にするらしいのです。

そんで、ちゃんと反論されます。

「それ言っとけばカッコイイと思ってるでしょ」と「いつ死んでもいい感じの雰囲気を出してるけど、オイラ程、生にしがみついている奴はいない」と。結局は『破天荒に生きてる奴に憧れているだけ』なのだと。

こないだ、めっちゃ追及されました。

そもそも、何故、いつ死んでもいいとか言ってる奴が、毎月、せっせと病院に通っているのかな?

死亡保険はいいとして、何故、病気になった時の為に三大疾病保険に加入しているのかな?

そして、何故、老後の為の積み立てまでやっているのかな?

めっちゃ、生きようとしてるじゃんっ!!!

追及されればされるほど。。。恥ずかしいっ。

なんだろうね、弱った時に誰かに迷惑かけるのは嫌だなと思っただけなのに、絶対的に間違ったことはしてないのに、追及されると、滅茶滅茶、恥ずかしくなるわけです。
なんと言うか、小劇場なんてやってる奴は破天荒である方がカッコいいとされ、皆がそこに憧れてるわけです。

分かるかな~、この感覚、分かんねーだろうな~。

間違ってる正義ってあるんです。

本当は、普通に生きることができるなら普通に生きた方が幸せなのです、社会から乖離的な小劇場で破滅的な生き方を選ぶ必要なんてないのです、それでも選んじゃう奴っているんです、そんで、その中で己の正しい義なんて本気で唱えちゃうわけです。

つまりね、小劇場って、己まみれの正しさがいくつも彷徨っていて主張し合っているわけです、それぞれのカッコよさや面白さだって、無数に彷徨っているわけです。

まさに混沌。

普通の生活を普通に送っているだけでは覗けない世界もあるのです。

少しでも日常生活に刺激が欲しいなら、まずは小劇場の世界を観てみることから始めてみませんか?

あっ。

いつものように宣伝でした。

オイラは元気です、劇場でお会いできるのを楽しみにしています。

おしまい。2025・02・15

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