中村太陽

中村太陽

僕、日韓ワールドカップの時に練習試合でイタリア対鹿島アントラーズを観に行ったんですけど、イタリアの選手が大きいなって思いましたね。
肉のつき方が全然違う。
今だと日本の選手もだいぶ体格が良くなってきましたけど。

YASUYO

YASUYO

身長差で負けちゃうっていうか。

 中村太陽

中村太陽

ありますね。
だから、今のうちから3歳児の頃に栄養学を取り入れて、しっかり体を作ってもらいたいですね。

YASUYO

YASUYO

いまセノビックっていう飲み物があるらしくて。

中村太陽

中村太陽

それって、背が伸びるやつですか?

YASUYO

YASUYO

そうそう。
身長172センチの女の子が友達にいるんですけど、その子は家系的にはそんなに背が高くないのに、小学校の頃から飲んでたら伸びたって言ってて。
私も期待してて、絶対飲ませようと思ってます。

中村太陽

中村太陽

セノビックと牛乳をセットでですね(笑)。

YASUYO

YASUYO

はい、それからサッカーも通わせて。

中村太陽

中村太陽

サッカーなら少しぐらいは教えられるので、ぜひぜひ(笑)。

YASUYO

YASUYO

すごい、サッカーの話で盛り上がっちゃいましたね。

中村太陽

中村太陽

本当ですね。
本当はこれまでの活動について根掘り葉掘り聞こうと思ってたんですけど、こないだお姉さんからも色々聞いて、姉妹でやられてることやユニットのことは大体分かっちゃったので、掘り下げすぎてもあれかなって(笑)。

YASUYO

YASUYO

お姉ちゃんがアイドルになったきっかけって、前回の記事には書いてなかったんですけど、実は私がアイドルをやっていて、新メンバーを募集することになった時に、お姉ちゃんが入ったんです。

中村太陽

中村太陽

逆パターンですね。

YASUYO

YASUYO

そうなんです。
私がソロで歌っていた時、そのプロデューサーさんに声をかけてもらって作ったグループだったんですが、メンバーが減って二人になっちゃって。
それで、やっぱり二人だけだと寂しいし、アイドルって大人数のイメージがあるじゃないですか。
そこで、練習を見ていたお姉ちゃんにお願いしたんです。
音楽も振り付けも知っていて、信用もある。
急にいなくなる心配もないですからね。
最初は3人で活動を始めたんですが、それがきっかけですね。

中村太陽

中村太陽

今すごく気になったのは、急にいなくなるって本当にあるんですか?

YASUYO

YASUYO

ありますよ。
練習してデビュー当日に送迎までしたのに、ピンポンしても居留守されて来なかったり。
結局デビュー日に6人だったのが5人になったりします。
あと、ライブも「満足しましたので辞めます」とか言われて急にキャンセルされることも。

中村太陽

中村太陽

そんなことある(笑)?

YASUYO

YASUYO

もう一人はマネージャーと妊娠したとかで辞めちゃいました。
それで、私たちも高校の同級生から「お前も妊娠してんじゃないの?」って言われたりして嫌になっちゃって。
グループ名を変えて、二人で「デイジーライト」として活動することにしました。

 中村太陽

中村太陽

大変ですね、この業界って。

YASUYO

YASUYO

今って誰でもアイドルになれるじゃないですか。

 中村太陽

中村太陽

僕らの世界もそうです。
小劇場なんて正直誰でもやれますから。

YASUYO

YASUYO

自分が「アイドルです」って言えば、ライブだってノルマ払えば出られますしね。

中村太陽

中村太陽

劇作家も同じですよ。
「作家です」って言えば、劇場で脚本を書いたことがなくても作家になれますから(笑)。

YASUYO

YASUYO

今って、芸能全般がそうですよね。
TIKTOKで有名になったタレントさんとか、そういう形で誰でもなれる時代になった分、ひと握りに入れる確率はすごく低い。
でも、私の中では「自分が歌って、お客さんが応援してくれている間はずっと続けたい」という思いがあります。
めちゃくちゃ売れたいとか、東京ドームに立ちたいとか、紅白に出たいとか、そういう大きな夢があるわけではないんです。
応援してくれている人がずっと応援してくれるような存在でありたい。
おばあちゃんになるまで地道に、自分の歌やダンスを続けていけたらそれでいいと思っています。
アイドルを辞めたのは、コロナ禍で活動がストップしたのがきっかけでした。
それまでは月の半分くらいライブをしていましたが、その時期に「結婚もしたいし、アイドルを続けるのは違う」と思うようになって、辞めるタイミングを迎えました。
その後すぐ結婚して子供が生まれ、一度活動を休止しましたが、子供が4ヶ月になって落ち着いた頃にソロで再開しました。
その時点で、すでに“貴女貴方”というグループができていて、私は「月に1回休ませてほしい」とお願いしました。
メンバーみんなが快く受け入れてくれて、「いいよ」と言ってくれたんです。
グループでは、私はダンスを担当しつつ、みんなで歌ったりもしながら活動しています。
また、TAROちゃんと二人でダンスをやることもあります。
プライベートを優先させながらも、子供と一緒に成長しながら、細く長く続けていきたいと思っています。

 中村太陽

中村太陽

いきなりどこかで大きく太くなるかもしれないですからね。

YASUYO

YASUYO

そうですね。
ただ、太くなるのが目標ではありません。

 中村太陽

中村太陽

TAROさんも前に似たようなことを言ってて「エンターテインメントはみんなのためにある。みんなが主役です」って、話をしてました。
そこに自分が提供する側になれればいいっていう考え方ですよね。
すごく難しいと僕は思うんですけど、芸術とエンターテインメントの違いとか、売れることとそうでないことを考えさせられる1年でした売れる売れないの話って、本当に難しいですよね。
僕もユニットだけで20年、それ以前を合わせると25年くらいやってますけど、若い頃はどうしても「売れなきゃ」って気持ちが先行してたんです。
でも、どれだけ頑張っても売れない現実を前にして、「何のためにやりたかったんだろう?」って考えることがありました。
その時、やっぱり続けたい気持ちが大事なんだなと気づいたんです。
きっと、やりたい気持ちがあるかどうかで、その先を続けられるかどうかが決まるんだと思います。
だから、カムバックしてきたYASUYOさんの芯の強さには本当に感心します。
お姉さんの存在も大きいんじゃないですか?

YASUYO

YASUYO

すごく理解がありますね。
結婚したいって言った時、活動のことを心配されるかなと思ったんですけど、「いいんじゃない?」って言ってくれて。
子供を産んだからって辞めなきゃいけないわけじゃないし、一旦休んでまた始めればいいんだよって言われました。
それで、妊娠中に復活ライブを決めたんです。
4ヶ月くらいになったら復帰できるだろうと思って、妊娠中に箱を取って「ここでやるからね」とファンのみんなにも伝えて。
休止期間中も、曲を作ったりオリジナル曲を出したり、ライブができない間にもできることを続けていました。
先ずは会場を押さえて、キャンセルできない状況に自分を追い込むんです。
そうしないと、休止したらそのままぐうたらして「幼稚園入るまでいいや」とか、「小学校卒業するまでいいや」とか、絶対になっちゃうタイプなので(笑)。

 中村太陽

中村太陽

も箱を取らないとぐうたらしちゃいますね。
昔は1年とか2年先まで押さえてましたけど、最近ちょっとサボってたので、そろそろ動かないとと思ってます。

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