あまり過去の事を振り返るのは好きじゃないけど、去年は「ミニtoto」が初めて当たった年でした。
オイラが定期購入するなんてね、おかしな話です、昔は、「toto」みたいな宝くじに手を出すようになったら、ある意味「人生つんでる」と思っていたのにね。
口では批判しながら、実際、買ってしまっているオイラに、ある意味でお祝いしなきゃですね、乾杯っ。
まあ、実際、ミニが当たって、エッセイのネタにもなったからいいんですけど、コレって変化なのかキマグレなのか、分からなくなる時があります、だって、今も、宝くじなんて『己の全く関係ない運と言う名の他人の褌(フンドシ)』に乗っかるなんて、ホントみっともないと思っている自分も何処かにいるからです。
人間って不思議な生き物です。
なんと言うか、芯がね、ブレいるのです、歳を取るごとに許容できるものが増えていくのであればいいのでしょうけど。
オイラの場合、日によって好き嫌いが変わるくらいブレているような気がするのです。
あっ。あけましておめでとうございます。
2025年もくだらない、自分事の話からエッセイをスタートさせてしまいました。
新年のあいさつは意外と好きなのでちゃんとしないといけないと思う今日この頃です。
でも、ちゃんとした挨拶って何ですかね?
エッセイでは読んでくれている人の目を見て言葉を投げかけることなんてできません。
でもね。
この文字を見てくれているということはすなわち目が合っていると同義であると思うので、もう一度、きちんと伝えたいと思います。
『あけましておめでとうございます』
どんな事も考え方次第では自分に筋を通すことは出来るのです、コレ結構大事です。
自分で自分に筋を通した感じにすると後ろめたさがなくなります、つまり前を向いて歩いて行ける気分になるのです。
オイラは田舎出身で古いタイプの人間ですので、筋が通っていない事には拒絶反応がモロに顔に出てしまう傾向にあります、なので、自分で自分に筋は通ってるよ~、ってな感じで自分自身をなだめてあげる必要があるのです。
まったく、困った性分です。凄い皆から言われます『根に持つね』って。
モチロン、否定はしません、しませんとも否定なんて。
だって、スゲー言われるんだもん、だから、きっと、そうなんだと思うことにしています、周りから見たら物凄い器の小さい人間なのかもしれません。
だから、なんと言うか、縁を切った人間に自分から近寄ることなんてありません「来るもの拒まず去る者追わず」がモットウです。
では、その人が再度近づいてきたらどうするでしょうか、きっと、強く抱きしめるでしょう。
今年はね、そんな、サプライズ的な再会があればいいな~、なんて思ってます、10年とか経つとね、ソイツが生きてるのかどうか位は気になってしまうのです、オイラも歳を取ったということです。
こんなことを思うなんてね、人の気持ちなんて、なかなか、変わるもんじゃないと思っていたんですけどね。
んっ?
もしかしたら、人の気持ちなんて、その日その日で大きく変化するのかもしれないですね、だって、芯がブレブレなオイラな訳ですから。
いやいやいや、そんなにブレる事なんて無いでしょう、去年を思い出してみたって。。。
ああああああああ。
なんか、下手な演出論を集めに集めて、己の演出論がブレブレだったような。。。
今年はね、己の演出論で直球勝負したいと思います。
芯がどれだけブレブレだとしても、芯自体は変わらない訳ですから。
そう、芯は変わらないのです。
きっと。