12月15日迄に見た映画を紹介します!

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ザ・クリエイター 創造者

監督/脚本:ギャレス・エドワーズ
アメリカ映画

―人間とAIの狭間で揺れる感情の物語

映画「ザ・クリエイター」は、人類とAIの対立を背景に、生き別れた妻を探す特殊部隊のジョシュアと、彼の妻の居所を知るAI少女アルフィーとの共闘を描いた作品です。

主人公の感情の波を巧みに捉えながら、異色のバディムービーとしての新鮮な魅力を放っています。

黒人男性であるジョシュアとAI少女アルフィーという組み合わせですが、映画「レオン」を彷彿とさせる子供と大人のバディムービーの伝統を継承しつつ、新たな境地を開拓しています。

物語の中で、ジョシュアたちは敵陣に潜入しますが、顔認証が必要な場面で窮地に陥ります。

この危機を、近くにあった遺体の顔を剥ぎ取るという残酷な方法で切り抜けるシーンは、観る者に人間とAIの恐ろしさを痛感させます。

特に、人間とAI、さらには人種や動物を含む命の価値の違いを巧みに描き出す点が、本作の大きな魅力の一つです。

映画の中でアルフィーが放つセリフ。

ジョシュアの妻との別れ、最大の葛藤、そして絶望を象徴しています。

思い出すだけで、とても悲しいセリフ!

その設定が素晴らしいですね。

また、人間が死亡した際にアルフィーが発する言葉。

「オフしただけだ」

なんてシニカルなセリフなんでしょう。

AIの感情と人間性を巧みに表現していました。

さらに、脳の移動を描いたシーンは、技術的な見事さとストーリーの深みを同時に示しています。

ただそんな「ザ・クリエイター」ですが、一つだけ気になることが。

それは、劇中で使用された漢字フォントのデザインです。

これに関しては、ちょっぴり違和感を覚えました。

けど、それもまた本作の個性の一つかもしれませんね笑。

今回の注目すべき俳優としては、ジョン・デビッド・ワシントン、アリソン・ジャネイ、そして渡辺謙です。

特に渡辺謙が何度か口にする「ブラダー(兄弟)」というセリフは、存在感と演技の深みを際立たせていました。

最後に、映画の音楽について。

レディオ・ヘッドの「キッドA」に収録された楽曲や、ドビッシーの「月の光」など、選曲の素晴らしさが本作の雰囲気を一層高めていました。

「ザ・クリエイター」は、人間とAI、そしてそれぞれの存在が持つ感情と葛藤を巧みに描いた作品です。


福田村事件

監督:森達也
脚本:佐伯俊道/井上淳一/荒井晴彦

物語は、関東大震災の大混乱の中で起こった流言飛語と、それによって生じた行商人と渡り守の間の口論から始まります。

この行き違いが、悲しいことに大虐殺へと繋がる展開となっています。

ストーリーは本格的に動き始めるまでに時間がかかりますが、その点を乗り越えれば、物語は非常に引き込まれるものになります。

サウンドトラックを手掛けたのが、ムーンライダーズの鈴木慶一さんていうのが良いですね。

特にクライマックスでのトライバル風の音楽は、シーンを見事に盛り上げてくれます。

また、瑛太さんが演じる「朝鮮人なら殺しても良いのか」というセリフは、観客の心に深く突き刺さります。

映画の構造は、ドイツ映画「es」を彷彿とさせます。

村人たちが看守のような立場となり、自警団を立ち上げながら精神的に崩壊していく様子が印象的です。

この心理サスペンス的な要素が、映画に深みを与えています。

キャスティングについては、僕の推し俳優、東出昌大さんと松浦祐也さんの演技が、とても素晴らしい!

一方で、井浦新さんと田中麗奈さんのエピソードについては、特に必要なかったように思えましたが、どうなんでしょう。

芝居がどうか、ではなく。物語的に必要なのかが分かりませんでした。

必要だとは思うんですけどね、なにせ主人公とヒロインですから。

ただ自分には見つけられず・・・とても残念。

この映画は、歴史的背景を持つ深い物語です。

映画好きであれば、是非とも鑑賞してみることをお勧めします。


イノセンツ

監督/脚本:エスキル・ファクト
ノルウェー・デンマーク・フィンランド・スウェーデン合作

サイキックスリラーの新境地「不思議な力と子供たち」

自閉症の姉を持つ少女が、不思議な力を持つ少年少女に出会うと、その力は次第にエスカレートし、危険な方向へと進んでいく……。

不気味で不安なシーンが続く一方で、客席の反応も含め、サイキックスリラーとしての魅力が満載です。

「これぞサイキックスリラー!」と感じさせる瞬間が多く、映画館内で、後ろの客席に座っていたオジさんが、ビクつく度に、自分の席を揺らすのが面白かったです。

「おい! どんだけビビってんだよっ!」って。

この作品の中心テーマは「子供が力を持つことの危険性」だと思いました。

超能力ものとしては誇張された表現がなされていますが、その本質は深く突き刺さります。

特に、心身を一つにした姉アナと友人イムの関係は印象的で、自閉症で話せないアナが、イムを通して「パパ」と言うことで、両親は揃って歓喜します。

しかし、イム自身には父親がおらず、このシーンは複雑な心情の中で行われ、その切なさは、観客の心を震わせます。

一方で、超能力が強まっていくベンの姿。だんだんと不穏の空気が漂ってきます。

そして、物だけでなく、人を操るようになった彼は、なんと、自分を虐めた少年を殺害!

自分の超能力が手に負えなくなってきているあたりが、一瞬「AKIRA」を思い出させますが、タカシやマサルたちは、見た目は子供でも中身は大人。

それに対してベンは、心も体も子供っていうのが、とても恐ろしい……。

冒頭にあった、猫を団地の高いところから落として殺すというシーンが伏線になっており、恐怖を煽ります。

その残酷さは、一部の観客には厳しいものがありますが、スリラー作品としては、完璧な構成ですね。

全体として、シナリオはとても丁寧な印象です。

特にベンが母親を殺害し、その後の後悔のシーンは心を打ちます。

子供に力を持たせる危険性を巧みに表現していると感じました。

この映画は、子供の残酷性を表現すると同時に、サイキックスリラーの新たな地平を切り開いていました。


監督/脚本:北野武

この映画は、織田信長と豊臣秀吉を中心に、歴史的な偉人たちを描いた作品です。

ビートたけし氏が演じる秀吉の視点から、彼と周囲の人々が信長の「首」を狙う展開が繰り広げられます。

この作品を一言で説明するなら、「アウトレイジ」の雰囲気を時代劇にした感じかと思います。

時代劇特有の言葉遣いではなく、現代的な会話が特徴的です。

アウトレイジにもあるような残酷描写が続きますが、時代劇ということもあり、いつもより残虐性は上げてきた印象です。

相当昔の作品ですが、東映の「徳川女刑罰絵巻」を思い出しました。

もとい、舞台は「本能寺の変」という歴史的背景の中で、BL(ボーイズラブ)要素を取り入れたユニークな設定が施されています。

このアプローチは、大島渚監督の「御法度」を彷彿とさせ、妬みや嫉みが絡む芸術的な内容を生み出しています。

あら、若き日の松田龍平さん、お美しい……。

今回の作品で特に印象的だった内容は、明智光秀を一筋縄ではいかない「良い人」として設定し、英雄化しない織田信長の描写です。

また、羽柴秀吉、羽柴秀長、黒田官兵衛の3人のやり取りは、予想外の面白さでした。

黒田官兵衛は通常、三国志の諸葛亮孔明のような役割を担うことが多いのですが、この映画では完全に異なるキャラクターになっていたのが印象的です。

劇中で観客を魅了したのは、大衆が狐の面をかぶり踊るシーンです。

これは北野監督らしい演出であり、北野作品「座頭市」を思い起こさせます。

北野監督作品の独特の世界観がここにも生きています。

初日の上映では劇場は満席で、観客の多くは年配者でした。

その所為なのかは分かりませんが、シリアスなシーンでも笑っているので本当に物語を受け止めているのか些か疑問が残りますが、これが「メジャー作品というものか」と痛感しました。

観客が増えれば、色んな受け取り方がありますからね……。

物語の終盤では、明智光秀の首を為三が取るシーンがありますが、この場面で物語のテーマを感じました。

まるで落語を見ているかのような感覚で、非常に巧妙に仕上げられています。

僕の推し俳優は桐谷健太さんです。

服部半蔵を演じる様子は圧巻で、彼のファンとしては見逃せないパフォーマンスでした。

また、荒川良々さんの切腹シーンは、頭の脇に毛をはやかしているだけなのが笑えました。

死に様の苦悶の表情は素晴らしい演技だったと思います。

全体として、この映画は、伝統的な時代劇の枠を超えた新しいアプローチだったと思います。

北野監督のユニークな視点と現代的な演出が見事に融合していました。


翔んで埼玉! 琵琶湖より愛を込めて

監督:武内英樹
脚本:徳永友一

この映画は、「日本埼玉化計画」を推し進めるべく、海を作る計画を立てた麻美たちが、白浜を求めて和歌山へと向かう物語です。

映画は、車内で流れるラジオ放送「795ナックファイブ」から始まり、埼玉県民のテンションを一気に上げます。

前作に引き続き、この映画もアイデア豊富な作品で、創造性の高さにはただただ感心させられます!

今回の作品も、速い展開と巧みな構成が印象的で、観客を物語に引き込みます。

タイトルが示される前から、主人公の目的が明確になり、物語は観客にとって親しみやすく、モチベーションを高める展開が見事でした。

劇中では、前作の登場人物、伊勢谷友介への言及がユーモアに溢れており、彼のトレードマークである帽子が登場しますが、その消息不明扱いが面白い。

「ここまでギャグにするのか!?」って、感じです。

今回の「関西編」でも、前作同様、地域に関するネタが随所に散りばめられていますが、関西ネタが増えてしまったことあり、地域に詳しくない観客には、その面白さが完全には伝わらないかもしれません。

ただ一応、埼玉を舞台にしたバトルなど、関東地域のファンにも配慮されていました。

映画「チョコレート工場」へのオマージュが素晴らしく、なかでも、ゆりやんや竹原芳子さんが踊るシーンは、感動もので、胸が躍ります!

スクールウォーズへのオマージュで、「お前ら悔しくないのか!」と言ってみたりと、やりたい放題だった印象ですが、たこ焼きの粉を作るケチャ風ダンスなど、独自のアイデアが作品全体の面白さを高めています。

「阪流ブーム」というコンセプトは、新鮮で、自由奔放な感じが魅力的です。

俳優陣の中で特に印象的だったのは天童よしみさんです。天童さんといえば演歌歌手ですが、映画「バッドランズ」といい、意外な才能が光ります。


蟻の王

監督/脚本:ジャンニ・アメリオ
イタリア映画

劇作家で蟻の生態研究者・アルドと教え子の青年・エットレが恋に落ち同棲するも、不条理な理由で引き裂かれてしまう。

そんな不寛容な社会に一石を投じようと、記者エンニオが取材を重ねていく。

「ブライバンディ事件」をもとにしたヒューマンドラマです。

この映画は、愛する二人が引き裂かれた瞬間から始まります。

冒頭のこのシーンは、物語全体を貫く重要な瞬間として設定されており、そこから過去へと回想し、二人の出会いに焦点を当てて展開されます。

物語の中で、青年エットレの兄が「二度と教授(アルド)のところには行くな」と忠告します。

当初はこの言葉が、後のエットレの葛藤に関わるのかなと思って観ていましたが、実際には、主人公に対する逡巡の様子はなく、ここで表現されたのはエットレのドラマではなく、兄の教授への恨みでした。

そんな彼の教授への憎しみが、母を焚き付け、その結果、悍ましい事件に発展していきます。

映画は、二人の愛を軸にしながら、その周辺にいる人々―親、兄、記者たちの物語も同時に描かれ、主人公たちの愛の物語と深く結びつきながら展開していきます。

主人公の内面的な葛藤は、ズバリ、愛する人が自分のせいで深く傷ついてしまうという苦しみです。

これが本当に観ていて辛い。

愛することで大事な人を傷つけてしまう葛藤は王道ですが、誰もが共感できるシンプルな葛藤だと思います。

中盤からは、記者の視点が物語の中心になり、新しい視角から物語が進行していきます。

特に印象的なのは、法廷のシーンで青年が「ここには罪人はいない」と発言する場面です。

この言葉は、「真実の愛とは何か?」という問いを投げかけ、深く考えさせます。

また、物語の鍵となる手紙について、登場人物たちはその内容を知るものの、観客には最後まで明かされないという演出が見事でした。

そして、最後に「君は本当の詩人になったんだな」という言葉で締めくくられるシーンは、感動的です。

映画全体を通じて「詩」が重要な要素として扱われ、その結末が見事に物語を締めくくります。

この作品は、愛と苦悩、そして詩の美しさを巧みに織り交ぜた、心に残る映画でした!


駒田蒸留所へようこそ

監督:吉原正行
脚本:木澤行人

「家族のお酒」 – 失われた夢と再生の物語

これは、崖っぷち蒸留所を再興させるべく奮闘する女性社長と新米編集者が家族の絆を通じて幻のウイスキーの復活を目指した物語です。

冒頭、新米編集者の光太郎のやる気のなさがアンチテーゼとして強調されており、終盤に向けて仕事に対する真剣さを見出す過程は、観客に深い共感を呼びます。

中盤、主人公が自身の記事のPV数の増加を通じて、自らの才能に気付くシーンは、彼の成長の瞬間です。

この発見は、物語のテーマ性を強調し、やりたいことを見つけ出す旅へと導きます。

また、女性社長・駒田琉生の兄と、亡き父親との対立関係も面白い。

シナリオの巧みな構成と伏線の使い方が、この映画の魅力を一層高めています。

また劇中の細かい演出が素晴らしく、社内での立ち話やスマートフォンを確認する細かい所作が、リアリティを与えています。

本当に芸が細かいと思いました。


オアシス

監督/脚本:イ・チャンドン

はっきり言って、このポスターを見ただけで泣けます。

僕はもう、そんな体になってしまいました。

この映画は、ひき逃げ死亡事故で服役した青年ジョンドゥの物語です。

彼は刑務所から出所し、家族の元へ戻るも、迷惑がられてしまいます。

この孤独な青年の人生は、被害者家族のアパートで遭遇した、脳性麻痺を持つ被害者の娘コンジュとの出会いによって一変します。

彼女は部屋で空想の世界に生きており、ジョンドゥと彼女との間には純粋な愛が育まれます。

この作品は、出所した主人公が家族のもとへ帰るというシンプルながらも深みのあるスタートを切ります。

途中でコンジュの鏡に映る反射が蝶や鳩に変わるなど、視覚的に美しい描写で観客を魅了します。

最初、主人公ジョンドゥの奇妙な行動にイライラしてしまいましたが、物語が進むにつれ、彼の行動の意味が分かりました。

平たく言えば、主人公のジョンドゥは、連続ドラマ「未成年」のデクだったわけです。

早く気づけって話ですね、すみません。

主人公がコンジュの部屋に侵入するシーンは特に印象的で、一瞬、「恋する惑星」を思い出しましたが、全然違う展開でした笑。

映画では、コンジュの性に対する複雑な心情が巧みに描写されており、彼女がなぜ一人で暮らしているのか、その背景が徐々に明らかにされます。

彼女とジョンドゥは、家族から見放され、利用される存在として描かれていますが、二人の関係はそれを超えたものとなります。

特に印象的なのは、ジョンドゥがコンジュの障がいを受け入れ、彼女に尽くす姿です。

これは映画「ジョゼと虎と魚たち」を思い起こさせます。

また、彼らの車椅子デートや高速道路の渋滞中に踊るシーンは、映画「ララランド」をダークにしたみたいで、感動しました。

途中で、ジョンドゥが家族にコンジュを紹介するシーンがありますが、彼が彼女を「友達」と呼ぶ瞬間には、何か深い意味を感じました。

この作品は、僕にとって今年1番の作品でした。

それはもうハッキリと言えます。

ただ残念なことに、今年の作品ではなく、日本で2004年に公開され、評価されている作品なので、今年の作品としてカウントしません。

ただ、映画館で見られて本当に良かったです。


ダンサーインParis

監督/脚本:セドリック・クラピッシュ

この映画は、挫折した若き女性ダンサー、エリーズの第二の人生を描くヒューマンドラマとなっております。

始まって直ぐに始まるダンスシーンは、映画のクライマックスのような迫力を持っています。

それはあまりに美しく、「お願いだから失敗しないで……」という気持ちなり、冒頭から緊張が走ります。

ただ、仕方がないのですが、当然ながらエリーズのダンスは失敗に終わり、足の怪我から始まります。

彼女の弱点は、足首の怪我の繰り返しで、これが彼女のキャリアに大きな影響を及ぼします。

エリーズが一時的に、実家に帰省する場面では、家族のドラマが繊細に描かれます。

父親は、エリーズがバレエダンサーになることを反対しており、実は法学部に入ってほしかったと言われ葛藤します。

エリーズは、過去に同じ経験をしたサブリナとの出会いを通じて、新たな人生の道を探ると、コンテンポラリーダンスへの興味と合宿所でのバイトが、彼女の心の変化を促します。

途中でやるアルバイトシーン。料理とダンスの描写は、物語に深みを与えています。

映画は、エリーズの挫折後の人生を中心に据えています。

彼女が全てを失った後、どう立ち直るのかが見どころです。

赤いワンボックスカーの場面や、3人でのバレーのシーンは、感情を揺さぶります。

また、コメディ要素が映画に軽やかさを加え、緊張と緩和のバランスを見事に取っています。

映画のクライマックスは、エリーズと父親の関係に焦点を当てます。

父親との和解と彼女の舞台への復帰が、感動的な結末を迎えます。

キレッキレのダンスと父親との抱擁。

この映画は、挫折と再生の物語を通して、人生の複雑さと美しさを描いています。

マリオン・バルボーの演技と、物語の緻密な構成が、この映画を特別なものにしています。


市子

監督:戸田彬弘
脚本:上村奈帆

この映画は、白骨遺体の発見から始まります。

当然ですが、物語に大きな意味を齎しています。

つまり伏線ですね。

始まって早々、市子はベランダから逃走しようとしますが、焦ってバッグを上手く掴めない状況に緊迫感があって良かったです。

カメラの手ブレが生み出す臨場感は、一部の観客には魅力的だが、僕のように酔いやすい人には少々不快に感じられます。

この演出手法は、映画の緊張感を高めますが、同時にリスクも伴いますね。

映画の設定はユニークで、主人公、市子(月子とも呼ばれる)の失踪と、彼女の存在の否定に関する謎は、物語を引き立てていました。

市子の小学校時代の描写は、彼女の家庭環境と性格を巧みに示しています。

特に、友達にたまごっちをプレゼントするシーンは、キャラクターに深みが増します。

月子を埋めて、DV夫を埋めて、男女を殺して……と。

ちょっとやりすぎ感があり、僕的には感情移入が難しかったです。

この手数の多さが、なんとなく、小演劇っぽいなと思いました。

ただ前情報から、チーズシアターの初作品ということを知っていたので、それに引っ張られているのかも知れませんが。

元が演劇作品ということですが、幼少時代とかどうやっていたのだろう……?

とても興味が湧きます。

市子が新聞配達をする理由は、後に戸籍がないことという伏線に繋がります。

このような細かな伏線の散りばめは、映画の魅力を高めていますね。

物語の半ばで、市子が殺人犯であることが明らかになります。
この展開は、予想外で、もっと引っ張るのかと思っていました。

ただそれがとても効果的で、その分ドラマラインが描かれていました。

なぜ市子が再び自分の名前に戻ったのかという謎は、のちに語れ、彼女のDV父親の殺害と関連していたことが分かります。

市子のキャラクターの変化は、「もう誰も愛せない」と言いつつ、最後になって「また愛せた」と結論づけたところです。それが見事にエモーショナルに描かれていました。

ストーカーの一貫した行動、市子の「本当の自分で生きたい」という願望、そして夢への志向など、キャラクター設定が非常に巧みでした。

物語の一部に、作家都合と感じられる部分もありますが、全体的には引き込まれるストーリーでした。
市子探しの過程、セリフの巧みさ、そして最終的な出会いのシーンは、映画の強みだと思います。


ほかげ

監督/脚本:塚本晋也

塚本晋也監督による『ほかげ』は、焼け跡と化した小さな居酒屋を舞台に、絶望の淵に立つ女性と、空襲で家族を失った子どもの交流を通して、再生と希望の物語を繊細に描き出しています。

本作の映像表現は卓越しており、緊張感あふれるシーンの連続は観る者を画面に釘付けにします。

また、摩訶不思議な世界観と、舞台美術の素晴らしさが映画の雰囲気を一層引き立てています。

朝ドラとの同時期にできたのが良かったですね。

作品の深みを増す上で良い影響をもたらしそうです。

あと、趣里さんの演技にはギャップ萌えを感じます。

本作においては、全体的に芝居が独特で、小津安二郎の映画を思わせるリズム感があります。

セリフの詩的な美しさも、この作品の際立つ特徴です。

まさに芸術映画と呼ぶにふさわしく作品だと思います。
森山未來さんと塚本晋也監督の相性の良さも、本作の大きな魅力の一つです。

セリフの言い回しは塚本映画特有のもので、それが森山未來の中で自然に馴染んでいるのが驚きです。

また、音楽も非常に印象的で、さすがは石川忠さん。

塚本作品の音楽といったら石川さんしかいませんね!

映画のクライマックスには、趣里と子供の交流が感動的なピークを迎えます。

「戻ってこなかった兵隊さんは怖くなれなかった」という少年の台詞や、「武器を置いて行きなさい」というメッセージは、深い感動と共に強烈な印象を残していました。


さて、次回は2024年1月19日に掲載します。

が、その前に、2023年・吉﨑映画祭による、受賞作品、受賞者を発表します!

さあ、2023年を飾る作品は……なんじゃろか!?

ご期待くださいませ!

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