
昨日まで正しかった答えが、今日も正しい保証はどこにもないってことくらい。
役者なんて、本当は毎回毎回、新しい者と出会ったかのように観察する必要があるのです。
めんどくさいです、なんで演出なんかをやっているのかがわからなくなる時もあります。
一つのこと長く続けるとやる理由なんて忘れてしまうこともあるのかもしれませんね。
好奇心で始めたことも。
成り行きで引き受けたことも。
やりたくなくても受け入れることも。
気づけば、いつしか、当たり前になっているものです。
ひとつの業です。
人生なんて業を背負ってなんぼです。
エッセイだってね「書きたい」より、締切が来るから書いているのです。
ある意味で『業も背負えば生業となる』です。
しかし……
そんなオイラの凝り固まった固定概念も捨てたかったりするのです。
もうこれは、強制的に固定概念を使えなくするしかないのです。
結局、一回ついた固定概念を取っ払うのは難しいからね、だったら、新しい風を取り入れたほうがいいのです。
今回の公演だってね、5人くらい初参加がいます。
楽ができません。
ただ、楽しくはあります。
そう……楽しくはあるのです。
きっとね。
どこかで理解できている他人ほど厄介なのです。
そもそも、他人なんて理解できないからね。
だからこそ観察したくなるのかもね。
海をずっと眺めている老人だって、
本当に海を見ているかなんてわからないからね。
まだ息子を待っていたいのかもしれないけど。
ただ海へ行くことが日課になっただけかもしれません。
本人だってわかっていないかもしれません。
ただ一つ言えるのは。
続けていると、理由なんて忘れてしまうことがあるということです。
エッセイも。演出も。人付き合いも。
気付けば、それが当たり前になっているのです。
業も背負えば生業となる。
ものすごく厄介だよね。
続ける理由は忘れてしまうのに、
やめる理由は見つからないのだから。
おしまい。2026・11・1