演出とは妥協である

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誰かが言った と 誰かが言った。
名言とは他人が作り上げるモノだと。

二十数年前、オイラは、倉森さんと言う演出家に魅了されて、自分も同じように演出家の道を志すことになりました。

その人は、あまり多くを語らない人だったような気がするけど「お前、もしかしたら演出家に向いてるかもな」と、演出の面白さを語ってくれたかと思ったら、地獄のような有難い課題を与えてくれたりもして、結果として、当時のオイラは小津安二郎作品がトラウマになりました。

そして、そんなトラウマを植え付けてくれた人の事を勝手に師匠と思うようになりました。

そんな師匠が言っていた言葉の中で特に印象に残っているのが「演出は妥協だよ」。

当時のオイラは、この言葉が物凄く嫌いでした。
妥協なんてするもんじゃないし、足掻けるうちは足掻いた方がいい。
どうせ倒れるなら前のめりに倒れた方がカッコイイじゃないですか。

そもそも、妥協を前提にモノ作りを始めようとしている所がよくないと思うんですよね。
本当にプンプン丸です。

ただ、最初に書いたように、悲しいかな、オイラが、あの人の演出に魅了された事実は、覆すことができない真実な訳で。

ん? しかしながら、そもそも妥協することを前提につけられている演出に魅了なんてされるのかな?

アレ? オイラは何に魅了されていたんだろう。

いや、そもそも、妥協とは何だろう? 演出とは何だろう?

まあ、現在進行形でそんな迷宮螺旋階段を下りているわけなんですが、師匠の歳を追い抜いた今でも答えは未だによく分かっていません。

常々、演出をやる時は妥協案を100個用意しろと教えてもらいました。

きっとね、今思うに、自分が思い描いた世界を100パーセント表現することはおそらくできない。

だからこそ、そこに近づける為の案を最低100個は考えてみる。

と言う事なのかなと。

なぜなら総合芸術だからね。

コレが、今のオイラが考え付く浅はかな現在地でもあったりします。

そもそもね、演出案を100個考えるなんて妥協と呼べるのかな。

と言うか、100個も考えられるかな。

だとしたら、それは、もはや地獄です。

でもね、きっと、頭の中にはあったんだろうな。

そう思うことにしています。

そういう所は妥協ができなかったのだろうから。

大体ね、演出は妥協だとか言ってたのだから、ちゃんと妥協すればよかったのに、サヨナラを選ぶくらいなら妥協したらいいと、本当に本気でそう思うんですよね。

何事も妥協するくらいが丁度いいのです。

なもんで、「演出とは妥協である」は、オイラにとっては名言だったりします。

のらりくらりやっていくことが大事なのだと。

そしたら20年位はやりたいことを続けられるのだから。

20年、そう、20年です。

大分、長い前振りになりましたが、前回に続き、宣伝ですよ、勿論。

今年は9-Statesの20周年記念公演を下北沢駅前劇場で行います。

間もなく、チケット発売です。

「世迷い子とカンタータ」のご予約お待ちしています。

20年やり続けることができたんですから、師匠も多少はオイラの事を褒めてくれたっていいんですよ。

是非是非、劇場でお会いしましょう。

おしまい。

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