努力しても夢が叶うとは限らない、しかし、努力しないものには、その可能性すら訪れない。
とあるサッカー部の部訓です。
歳を取って大分スレちゃったよね、昔は、確かにそうだな、努力しなきゃって思ったもんですが、よくよく、考えると、コレって、宝くじは当たるとは限らない、しかし、買わないものにはその可能性すら訪れない。と言ってるのと、ほぼほぼ同じ。
努力とか言う言葉が無駄に立派に聞こえるから、なんか凄い大事な教訓みたいに聞こえるけど、スゲー当たり前の事をスゲー当たり前に言ってるだけなんだよね。
つまり、スゲー当たり前ってスゲー大事ってことに最近気づきました。
「WINNER」も買い続ければいつかは当たるのです。
皆さんは夢をちゃんと追いかけられていますか?
真っ直ぐ、自分の道を歩き続ける事は出来ていますか?
オイラと言ったら、東京に出てきて20年、随分と卑しくなったような気がしています。
なんと言っても、基本は自分にとって「利益になるか・ならないか」でお金を使う自分がいるからです。
そんな「モノサシ」を何時頃から覚えたのかは分かりませんが、バカみたいなお金の使い方ができなくなったような。。。
モチロン、健全に生きていくには賢くなったということなのかもしれません、利口に生きていくには必要な事です。
でもそれって、自分が楽しいかどうかはあまり関係なかったりするので、人生をあまり楽しめていないのかもしれません。
そもそも利益とは何かと言われたら、「自分にとって必要な人」かどうかが判断基準になったりもするので、たまに自分の事を薄情な奴だと思い返しては寂しくなる一方です。
いつからそうなったのか想像してみると。
昔は本当に余裕がなかったのだと思うのです、東京に出て来た時は都会モンは誰も手なんて差し伸べてはくれないと思ってたし、だけど、ただ、ただ、ヤサグレて孤立したら強制送還されてしまうので、どうにかして生き残る為に、手をつなぐべき他人は厳選する必要があると勝手に決めつけるようになったのかも。
う~ん、立派な言い訳を言ってみたものの、違うか、なんと言っても、都会の半分は田舎者の集まりで作られていたりするからね、つまり、田舎から出てきた奴の方が薄情モンが多いってことです。
なんと言うか、そう、皆が皆、余裕がないんです。
皆が皆、一杯一杯。
でも、コレって東京だけの事なんだろうか?オイラの周りの人々だけの事なんだろうか?
多かれ少なかれ、大小はあったとしても、誰もが「自分の希望に縋ること」で「誰かの絶望を見ないようにしている」とは思いませんか?
きっと、余裕のない人々が「より良い暮らしを求める為」「自分の譲れないものを守る為」そんな理由で一生懸命に生きている姿はとても滑稽で物語になりそうです。
そう、つまり。